富士講もう一つの聖地 [洞窟]

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 富士講とは、富士山を信仰するグループのことで、お金を少しづつ積立て、いつかは富士霊山に登ろうとした。江戸時代のピークには何百もの富士講があったが、明治以降、特に太平洋戦争後は、富士登山のレジャー化が進み、衰退していった。富士講の開祖は長谷川角行(1541~1646)と言われるが、この人が修行したとされる洞窟が富士宮市にある人穴だ。人穴は、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」にも出てくるほど古くからその存在が知られる、高さ1.5m、幅3m、奥行き90mの巨大な溶岩洞窟である。昔、人穴は、登拝の前後に、安全祈願と記念のため立ち寄ったもう一つの聖地だった。山小屋もなかった時代は弾丸登山しかできず、過酷だっただろう。なお、人穴は、安全上の理由により、現在は入洞禁止となっている。富士山が世界遺産に登録され、観光客も増えた今、人穴の安全対策を急ぎ、内部拝観を再開してほしいものである。
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八丈島の風穴 [洞窟]

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 八丈島まで行ってきた。1泊2日の予定だったが、台風26号の影響で帰ることが危ぶまれたので、やむをえず1泊1日の弾丸旅行となった。お目当ては八丈風穴で、それは初日にクリアー。八丈富士のふもとにあると、ケイビングのガイドブックの情報を頼りに行ったのだが、とにかく場所が分かりにくい。地元の人に聞いても分からないマイナーっぷりで、とりあえずこの辺だろうというところから、手探りで草むらに入り込んだ。探すこと数十分、けもの道らしきものを発見。それに沿って歩いてみると洞口にたどり着けた。

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火山活動でできる風穴、洞壁は黒光りしており、足元には火山岩の石ころがごろごろ。洞口から奥へ進むにつれ穴は小さくなる。途中、天井が陥没して光が差し込んでいた。八丈風穴03.jpg八丈風穴02.jpg

小さなコウモリが休憩していた。コキクガシラコウモリで体長3cmくらい。後ろ姿を撮影するも正面側に回り込んだら逃げてしまった。

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かくも懐かしき岩窟ホテル [洞窟]

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岩窟ホテルの現在。寂しく残された遊具。


国指定史跡埼玉県吉見町の吉見百穴。古墳時代のお墓だが、岩肌に無数に開く黒い洞口はなんとも不思議で初めて見る人はまず驚くだろう。さて、百穴の駐車場の入り口あたり、松山城址のふもとに「岩窟ホテル」が存在する。明治37年から大正14年までの21年間かけて高橋峰吉という農夫が一人、岩肌をノミでこつこつ掘り進め、内部はまるでホテルのような巨大な建造物をつくった。以前は観光地として、有料で中に入れたのだが、昭和62年、落盤により、閉鎖された。小生は学生のころ中に入ったことがある。入場料がいくらだったかは忘れた。ここは「ホテル」ではなく、何の宗教的な意味合いもない。ただ、その狂気ともいえる穴掘りの欲望(?)にただただ感服したことを覚えている(ホテルは「掘ってる」から来た名前らしい)。岩窟ホテルの前に岩窟売店がいまも営業しており(ここのおそば美味しかった)、写真など、往年の岩窟ホテルの様子がうかがい知れる品々が展示されている。あぁ、それにしても懐かしい。ここの御子孫、「穴好き」は遺伝しなかったか?崩落の度合いは不明だが、できることなら再整備して公開してもらいたいものだ。


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神の壷が眠る龍河洞 [洞窟]

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帰省のついでに龍河洞へ行ってきた。調査済みの全長4km、公開部分1kmとさほど長くはない。鍾乳石はたくさんあるが、日本全体で比べるとそんなに言うほどは多くない。でもここは岩手の龍泉洞、山口の秋芳洞とともに、日本三大鍾乳洞に数えられている。おそらくその理由は、弥生人が残した壷が洞内に残され、2000余年の時を経て、表面がすっぽりと鍾乳石で覆われている「神の壷」があるからだろう。高知県現・香美市の物部では、弥生時代の遺跡がたくさん発掘されているが、この壷は弥生人が洞窟内で生活を営んでいた、という決定的な証拠となっている。洞内は整備されているものの高低差が約80メートルあり、ステンレス製の狭小な階段をよっこらよっこらと上がり下りしなければならない。今や65歳を超える高齢者が約3割を占める高知県。それを考慮すると観光地としての龍河洞はしんどくてだんだん人気がなくなってきたのか、みやげ物屋の数は前に来た10年ほど前と比べると明らかに減少していた。小生は小学生の時に親に連れられて龍河洞を見学したのが初めての鍾乳洞体験だったが、その時の記憶が、現在の「穴好き」に結びついているかは不明である。ところで、観光洞窟にはつきものの「名称看板」だが、この「神の壷」の看板、あまりに近すぎではないか!?
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御神体となった鍾乳洞 [洞窟]

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関東随一ともいわれる奥多摩の日原鍾乳洞。あたりには石灰岩むき出しの切り立った山々が多く、江戸時代から山岳信仰の対象となっていた。渓谷には一石山神社があり、対岸の鍾乳洞はその御神体であった。そのため洞窟内の天井は修験者の松明で煤けている。洞内の見所には蓮華岩、地獄谷、三途の川、さいの河原、死出の山など、いかにも宗教的な名称が付けられている。賽の河原の大広場は他に例がないほど広い地下空間で、50段ほどの階段を昇るとなぜか「縁結び観音」が祀られている。大広場の右手奥には「十二薬師」があり、天井を見上げると無数の一円玉が光っていた。どうしてくっついているのか検証すべく、岩を登り、まずは、一円玉プラス湿気のみで試みたが落下。落下地点にあった泥を一円玉で少しすくい、それをボンドにして再度試みたところ見事にくっついた。ここをお参り(?)する人がみんなこの手を思いつき次々に貼っていったのだろう。以前、鍾乳洞にお金を置いていかないでって書いたけど、ここは立派な聖地だ。鍾乳石は少し見られるが、たいしたことは無い。だが立派な観光地でもあるので、600円払わないと入れない。つりあいは取れていると言うところか・・・。
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日帰り。あぶくま洞 [洞窟]

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都心より車で3時間半も走れば着いてしまうあぶくま洞。福島第一原発から40kmほどしか離れてないため、観光客は減っているのでは?と思いきや、なにやらご当地キャラのイベントなんかをやっていて人だかりができていた。全長3.3kmの鍾乳洞のうち600m+探検コース120mが一般公開されている。小生は観光洞窟があまり好きではない。自然の洞窟の中に通路を作り、はしごを掛けたり、時には鍾乳石を切断したりしているからだ。しかしながら、それが無かったら、本格的なケイビングをしなくてはいけなくなり、老人や子供は到底見学することはできなくなる。この洞窟は石灰石の採掘中に発見されたのだが、その石灰取りをやめてまで、観光地化するのだから、よっぽどの名所にならないと元が取れないのだ。石灰取りの現場でたまたま鍾乳洞が見つかっても、天然記念物に指定でもされたらもう採掘はできなくなる。そんな理由から、当事者のみしか知らない鍾乳洞は日本中にあるのではと思う。さて、あぶくま洞だが、窓口で1200円払えば入洞できる。200mくらい進むと、おじさんが座っていて、探検コースを勧めてくる。これが200円。探検コースは非常に狭く、天井も低いため、体の弱い方には勧められないが、自然の状態の鍾乳石とかを見ることができるのはいい。探検コースの終点で一般コースと合流し、この洞窟最大の見せ場である滝根御殿へ。広い空間の360度に鍾乳石が見られるのはまさに圧巻。
ところで、鍾乳石の上とか池の中に小銭を置いていく人が多いが、これはやめたほうがいい。神社、仏閣であるまいし、第一、何千万年もかけて形成された鍾乳洞に何らかの化学的影響を与えかねないからだ。鍾乳石をなでるのも然り。1cm伸びるのに100年掛かるといわれる鍾乳石が成長できないというか、むしろ磨り減ってしまう。何かご利益を求めてのことだと思うが・・・穴を信仰する気持ち、分からないでもない。


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高尾山の穴弁天 [洞窟]

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真言宗の聖地であり、ミシュランガイド三ツ星の観光地でもある高尾山に登ってきた。標高599メートルの頂上はたくさんの人でごった返していたが、その少し手前に福徳弁財天、別名穴弁天なるものを発見。商売繁盛、福徳円満のご利益があると書いてあるが、登山客の関心はイマイチのよう。穴の入り口より身をかがめて5~6メートル入ると弁天様がろうそくの光に浮かび上がっている。穴はさらに先に続いているように見えるが柵がしてあり立ち入り禁止。もう少しディープなところまで見せてもらいたかった。ちなみに、登山者は年260万人を超え路傍には土産屋やら食事処が軒を連れているような場所だけに上水道、下水道ともに整備されていた。八王子市に聞いてみると、下水道が頂上広場から処理場までつながったのはつい今年の春のことだと言う。圏央道の高尾山ジャンクションが開通したのも今年の春。山はこれからますますにぎわうことだろう。よく見るとマンホールのデザインは弁天様だった。

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日本のラスコー? [洞窟]

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小樽市に手宮洞窟なるものがある。全国に洞窟遺跡は3000ほどあるが、壁画の残されたところは隣の余市町にあるフゴッペ洞窟とここにしかない。壁画は約1600年前の続縄文時代に凝灰岩の岩肌を削って描かれたもの。江戸時代に発見され、大正10年に国指定史跡となり保護されることになった。壁画には角の生えた人や動物が描かれているというが、上の写真でお分かりになるだろうか?下のイラストはそれを模したものなので比べてみていただきたい。洞窟は幅3.2m奥行き3mほどで、中に入ると、押すと説明が流れるボタンだけがぼんやりと光っている。入場料は100円かかるが、洞窟保存館の維持費ややたらと腰の低いチケット売り場のおじさんの人件費などに当てられるのだろう。ラスコーとまではいかないが、先史の人々の生活に思いをめぐらせることができ、貴重な時間となった。
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