Moon River~横浜市の下水道 [下水道]

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横浜市さんの下水道におじゃました。横浜市では明治の始め、外国人居留地において早くも下水道が整備されていた。レンガ造りの様々な大きさの卵形管などがあったそうだ。現在は市もそれが現存しているかどうか把握しておらず、その代わりに面白そうなところを何箇所か案内してもらった。月明かりに浮かぶような下水管(写真上)は新作のひとつだ。何年か前に「月刊下水道」の取材で横浜市に行ったときは、陶器でできた「陶管」を見つけることができたが、どれくらい古いものかは不明(写真下)。各家庭と本下水をつなぐ「取り付け管」はしばらく前までは陶管が主流だった。現在では耐久性のより高い塩化ビニール管がほとんどだ。塩ビ管は地震には強いが溶剤等の薬品には弱い。下水道にいらなくなった薬品を捨てるのはやめませう。

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かくも懐かしき岩窟ホテル [洞窟]

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岩窟ホテルの現在。寂しく残された遊具。


国指定史跡埼玉県吉見町の吉見百穴。古墳時代のお墓だが、岩肌に無数に開く黒い洞口はなんとも不思議で初めて見る人はまず驚くだろう。さて、百穴の駐車場の入り口あたり、松山城址のふもとに「岩窟ホテル」が存在する。明治37年から大正14年までの21年間かけて高橋峰吉という農夫が一人、岩肌をノミでこつこつ掘り進め、内部はまるでホテルのような巨大な建造物をつくった。以前は観光地として、有料で中に入れたのだが、昭和62年、落盤により、閉鎖された。小生は学生のころ中に入ったことがある。入場料がいくらだったかは忘れた。ここは「ホテル」ではなく、何の宗教的な意味合いもない。ただ、その狂気ともいえる穴掘りの欲望(?)にただただ感服したことを覚えている(ホテルは「掘ってる」から来た名前らしい)。岩窟ホテルの前に岩窟売店がいまも営業しており(ここのおそば美味しかった)、写真など、往年の岩窟ホテルの様子がうかがい知れる品々が展示されている。あぁ、それにしても懐かしい。ここの御子孫、「穴好き」は遺伝しなかったか?崩落の度合いは不明だが、できることなら再整備して公開してもらいたいものだ。


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驚愕のISO25600 [カメラ]

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高崎の洞窟観音にて。ISO12,800で撮影。


 EOS6Dを新調してからあちこちの洞窟に出かけている。で、ちょっとカメラについての話を書きたい。このカメラ、CANONのデジ一では最新の画像処理エンジンDIGIC5+を搭載し、常用感度はISO25,600までに設定されている。先だって発売されたEOS5DMarkⅢ、EOS1DxもDIGIC5+だが、インテリジェント・ビューファインダー(ファインダー内の測距点が液晶になっていて可変)が暗いところでは合焦点が分かりづらく使いにくいため見送った。このあと8月末に発売予定の中級機EOS70Dもこのタイプになるようだ。なぜか6Dは従来のファインダー表示で、固定なのでウザいが、暗いところでも合焦点が赤くはっきりと光ってわかりやすい。これは小生のような暗いところで写真を撮るカメラマンにとって最後の名機なのか?さて、常用感度の上限ISO25,600だが正直、色ムラが気になる。一段分下げたISO12,800ではほとんど気にならない。これはF2.8の標準~広角レンズだと「目で見えるところは手持ちで撮れる」といえる程度だ。かたくなにボディー内手ぶれ補正を作らないキヤノンの目指すところは手ぶれには高感度で対応、ということかもしれない。


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いまさらの環七地下調節池 [下水道]

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正確には神田川・環状七号線地下調節池という。昭和63年に着工、平成9年には第一期工事が完成している。第二期工事も平成19年にはもうできていた。近くには東京都下水道局の和田弥生幹線(雨水貯留管)があり、こちらはシールド工事中に取材に行っている。もちろん完成後も何回か行った。環七地下調節池になぜいままで行かなかったかと言うと、管轄が下水道局ではなく、東京都建設局の施設だから。下水道は道路の排水溝などから地下に集まり、処理能力以上の雨水を一時的に貯留施設に蓄える。それに対し、環七地下調節池は神田川、善福寺川および妙正寺川の氾濫を防ぐために造られたもの。だが、構造的には「治水」設備であることには変わりなく、ビジュアル的にもかなり似ていて、興味が出てきたのだ。上の写真は善福寺川から取水された水が落ちてくるドロップシャフト。直径7mもありかなり迫力がある。小生はこれを真下から撮ってみたいと思っていたのだが、この下は深さ7mの滝つぼならぬ減勢池があり、ボートでも出さないことには真下には行けないのだ。苦肉の策で、三脚にカメラを取り付け、横にして伸ばして撮ったのだが、伸ばせると言ってもせいぜい1mくらい。幸い最近EOS6Dを新調したのでWiFi機能でスマホから遠隔操作ができたが、結果はこんなもんだった。

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ドロップシャフトまでは地下へ約40m、なんとエレベーターで行けた。エレベーター室は完全にドライエリアになっており、水のくるところへは分厚いハッチを2個くぐらねばならない。お目当ての調節池までの連絡管はなにやら幾何学的な線と記号が書かれていたが、コンクリートの劣化状況をモニターしているらしい。丸に「ヒ」はヒビのヒ、このほか丸に「ウ」は浮きのウ、丸に「ハ」ははがれのハだという。地下には水蒸気が立ち込めていて、ほんの数メートルの視界しかない。地上が蒸し暑いときは地下では空気が冷やされるためもやが出るらしい。
本調節池、管径12mともなるとライティングが大変だ。サーチライトとLEDでなんとか演出してみた。

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情熱の真っ赤なケシ [雑記]

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「ダメ。ゼッタイ。」と書かれたティッシュペーパーをもらって中に入った。東京都薬用植物園(小平市)には、麻薬や漢方薬の原料となる植物が、約1700種植えられている。中でもケシは同園の目玉で、今がちょうど見頃の大きな花をつけているため、多くの人がこれを見たさにやってくる。真っ赤や真っ白な大きな花は本当にきれいだが、数種あるケシの内、ソムニフェルムという日本産の一貫種とトルコ種など一部は栽培が禁止されている。そのさく果からモルヒネ~ヘロインの元となるアヘンが取れるからだ。栽培が違法となる植物は、周りに2重のフェンスがはられている。アップで写真を撮りたくてもだめ。ぜったい。?と思ったら、「小平ナントカの会」とかいう人たちがフェンスの中へ!係のひとの説明を受けていた。駄目もとで小生も中に入れてくれと頼んだが、だめ。ぜったい。だった。フェンスの中にはほかに、大麻のアサ、コカインのコカなどが植えられていた。エフェドリン~覚せい剤の原料である麻黄は見つけられなかったが、先月一週間ほど花が咲いていたという。ワシントン州やコロラド州で最近合法化された大麻。どんな苦痛もやわらげてくれるモルヒネ。日本では「ダメ。ゼッタイ。君」(←正式名称不明)がいる限り、そう簡単には手に入らない。
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7000万円のボルボが行き交う下水処理場工事 [下水道]

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仙台の南蒲生浄化センターは東日本大震災の被害を受け、平成27年度の完成を目指して復旧工事中である。小生は本工事風景を定期的に撮影している。現在はパワーブレンダー工法という地盤工事の真っ最中だ。海沿いに位置するため地面は砂で軟弱なのだが、大きいドリルで5メートルほどの穴を開けてA剤とB剤からなるセメントを混ぜて攪拌し、固める。6haある工事エリアの内、3.5haの地盤を造る。現場では100mを超えるタワークレーンやらパワーブレンダーやらバックホウなどでごった返しているなか、巨大なダンプカーが目立った。このボルボ社製の巨大ダンプ、積載量は40トンで普通のダンプの10倍。一台7000万円もするそうだ。
一方、震災ガレキはいまだ3分の1くらいしか処分されておらず、建設現場と海側の堤防工事現場との間に、素材や種類ごとに並べてられている。
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久しぶりの日本カメラ [雑記]

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本日発売の日本カメラのグラビアに小生の作品が載っている。日本カメラのグラビアは実に14年ぶりだ。この間、何もしていなかった訳ではない。シリーズ「細道」と「カミヌクー」を売り込んだが、けっこう待たされたうえでボツとなった。今回は長く撮りつづけている下水道の写真だが、この10年間でフィルムカメラからデジタルカメラへと移行し、モノクロからカラーへとシフトした。それで、デジタルで撮った作品が溜まるのにしばらくの期間を要したのも一因だ。と言うわけで、今回はフルデジタルのフルカラー。本屋さんに行ったらぜひ手にとって見ていただきたい。
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A Happy Chinese New Year [雑記]

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ヒマが続いたので香港まで頑張って行ってきた。イギリス領より中国へ返還される少し前に行ったのが最後なので17年ぶりにもなる。本土復帰したとはいえ、50年間は一国家二制度の自由主義を貫くため、基本的には何も変わっていない。大きく変わった事といえば、’98年に啓徳空港が廃止となり名物だった建物すれすれを離着陸する飛行機が見られなくなった事(今は郊外のランタオ島に国際空港ができているが、遠いので不便)、東洋一のスラムと呼ばれた九龍城砦が公園になったこと、コインがエリザベス女王のデザインからバウヒニアという花のデザインに変わったこと、インド人がやたらと増えていること(統計上ではなく、個人的な体感で・・)あと、黒人、フィリピン人、イスラムの人など人種の坩堝化が著しく思えた。で、たまたま行ったのが中国のお正月に当たってしまったこと。良かった事は、街は思いっきり賑わっていたし、ビクトリアハーバーの花火を見れたこと。悪かったことは、ホテル代が平時より高かったこと。とはいえ、小生はいつも重慶大厦(安宿の密集した繁華街の商業ビル)に泊まったので数ある名の知れたホテルの10分の1くらいの値段で泊まれた。一泊3000円~4500円くらいかな。朝はお粥を食べ、昼は飲茶、夜はセブンイレブンのお弁当という感じで食品以外も物価は安く、航空チケットとホテル代金を除けばそんなにお金を使わなくてすむ。なぜまた香港に来たのかは、小生の作品のCONDUIT(水道管の写真)シリーズをもう少し増やしたかったからである。ちなみに香港は下水道があるにはあるのだが、路地裏の排水溝に何でもかんでも流していて、時に詰まり、汚水が足元にあふれているところもたくさんあった。この排水溝が雨水専用なのかは定かではないが、明らかに汚水を流していることによって、不衛生な状態になっている。これは小生が学生時代、最初に香港に行った1988年とあまり変わっていない。その時、小生は「外国に行かなければ観光ガイドに載ってないことがたくさんあるんだなあ」と思い、外国に興味を持ち始めたきっかけである。とはいえ、海外旅行は金がかかるし疲れるのであまり積極的に行こうとは思わなくなってしまった。香港のなんと言うか、生乾きのビーフジャーキーのような独特のにおいは行くとくさくて気になるのだが、帰国するとなんとなくなつかしくなってしまう。不思議なパワーを持った都市である。
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神の壷が眠る龍河洞 [洞窟]

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帰省のついでに龍河洞へ行ってきた。調査済みの全長4km、公開部分1kmとさほど長くはない。鍾乳石はたくさんあるが、日本全体で比べるとそんなに言うほどは多くない。でもここは岩手の龍泉洞、山口の秋芳洞とともに、日本三大鍾乳洞に数えられている。おそらくその理由は、弥生人が残した壷が洞内に残され、2000余年の時を経て、表面がすっぽりと鍾乳石で覆われている「神の壷」があるからだろう。高知県現・香美市の物部では、弥生時代の遺跡がたくさん発掘されているが、この壷は弥生人が洞窟内で生活を営んでいた、という決定的な証拠となっている。洞内は整備されているものの高低差が約80メートルあり、ステンレス製の狭小な階段をよっこらよっこらと上がり下りしなければならない。今や65歳を超える高齢者が約3割を占める高知県。それを考慮すると観光地としての龍河洞はしんどくてだんだん人気がなくなってきたのか、みやげ物屋の数は前に来た10年ほど前と比べると明らかに減少していた。小生は小学生の時に親に連れられて龍河洞を見学したのが初めての鍾乳洞体験だったが、その時の記憶が、現在の「穴好き」に結びついているかは不明である。ところで、観光洞窟にはつきものの「名称看板」だが、この「神の壷」の看板、あまりに近すぎではないか!?
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パイプがうようよ~ [下水道]

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今日はお仕事で大田区のポンプ場に行ってきた。東京で一番処理能力が高いと言うことだった。巨大なポンプはそれなりに面白かったが、小生はスペースのあちらこちらにある配管が気になって仕方がなかった。こんなに複雑で、バルブがいっぱいついていて、どれをどうすればどうなるのかはちんぷんかんぷんだった。ポンプが発熱し、焼きついてしまうのをふせぐ水が入っている、といっていた。青いパイプたちを見ていると、ブルーマンを思い出した。彼らもチューブ状のものを使って音を出したりしていたなぁ。パイプは「音」をつかさどる。パイプオルガンのように荘厳な・・・。でもここのパイプ、非常用らしく平時は水が流れていないので音は聞こえない。それでも何か聞こえてくるような気がする。生命を感じるのは血管の動脈、静脈を連想させるからか。
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